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09.13.2010

 

昭和の笑いの王様がまたひとりいなくなりました 〜谷啓さんの急逝に思うこと〜

 アメブロとかにも書いてますが、谷啓さんの訃報には本当にビックリしました。まぁ、年齢とかを考えたら(享年78才)そんなに驚くにあたらないのかもですが、でも、最近までテレビで活躍されていたから、まさかこんなに急に亡くなるなんて思ってもいませんでしたから。

 谷啓さんと言えば、もちろん、クレイジーキャッツです。で、クレイジーと言えば、日本のお笑いの原点であり、当時としてはある意味「New Wave」な笑いの使者でした。そのシュールなブラック・ユーモアにも通じる笑いは、にもかかわらず、お茶の間に受け入れられ、テレビの出現と同時に、あっという間に大スターになってしまいました。

 そのあたりのことは、いろいろな記事やコラムで紹介されているので、敢えてここで語ることはしません。もっとぼく個人的な話をしましょう。

 クレイジーは元々ジャズを演奏する本物の楽団=バンドだったことは有名ですよね。それが、テレビの時代の到来で、見ても楽しい楽団を、ということからいつか本来のバンドの姿から離れ、コントを中心とするタレント・グループとして注目されるようになったわけです。そのへんは後輩のドリフターズやドンキー・カルテットとかと同じです。

 彼らの人気が定着したのは日本テレビ系列で放映されていた音楽バラエティの「シャボン玉ホリデー」にレギュラーで出演するようになってからで、ぼくも大好きな番組で、よく見ていました。「お呼びでない?」や「コリャ癪だった」、「おとっつぁん、おかゆが出来たわよ」などの名セリフをガキの頃のぼくはよくマネしていました。

 でも、本当に彼らのセンスが光ったのは開局してすぐのフジテレビのお昼の帯番組だった、「おとなの漫画」というわずか10分間のコント番組で、ここでクレイジーの凝縮された笑いのセンスが十分に堪能出来ました。

 この成功の陰にいたのが、当時まだ見習い扱いの放送作家だった、青島幸男や河野洋、城悠輔といった若手の存在で、青島さんのその後の生き方にあらわれているような、反骨魂を軸として世相をモチーフに、庶民の心情をブチまける、という感覚のギャグ・スピリットだったような感じがします。

 そのへんが、ほかの人気者の誰とも違う彼らだけのシュールでシニカルな笑いのセンスでした。その頃のぼくはまだ小学生でしたが、彼らのテレビ向きなテンポのいい、お行儀の悪い乾いたコントに大笑いしていました。イヤなガキだったかもです。

 特に、中でも植木等さんのハデな振る舞いや物言いとは裏腹な、むしろ地味で、あんまり目立たない感じのオットリ・タイプの谷啓さんは、その「ハズシ加減」が絶妙で、天然系の元祖とも思えます。藤山寛美や藤田まこととも違う、都会的な普通の人のノリが実に新鮮でした。とにかく、いるだけでなんとなくホンワカするような空気感の人でした。

 初期のドラマ「図々しい奴」とかもハマリ役でしたが、個人的にはやはりいきなり出会い頭の「ガチョ〜〜ン!」だとか、追いつめられての「谷だぁ!」とか、ガチョーン系の「ビロ〜〜ン!」なんていう擬態語とも言えない意味不明なコトバのアソビが好きです。

 そういう風に感じていたのは、当然ぼくだけではなく、大半の谷さんのファンはそこに魅力を感じていたはずです。それを如実に知らされたのは、スチャダラパーの連中によってで、彼らのデビュー・アルバム『すちゃだら大作戦』の「こりゃシャク」を見た時に、「おっ、ヤルじゃん!」って思ったり、その後出たアルバム『タワーリング・ナンセンス』の中に「あんた誰?」を見つけて、「やっぱりなぁ〜!」とほぼため息。人にあんまり言ったことなかったですが、この時に確実にぼくの中で、スチャダラパーはツボな存在になったんです。


 ということで、昭和のギャグの王様、クレイジーキャッツの中でも地味な個性派とも言える谷啓さん、実は一番普通人で音楽人だったのかもしれませんね。あの、さりげなさ、にヤレれるんです。

 今回はそのスチャダラパーのRemixバージョンの方の映像(音楽)を聴いてみて下さい。ハッキリ言って、一番エンジョイしてるのはゲストの谷さんです。

 ここにあらためて謹んで哀悼の意を表させていただきます。「ビロ〜〜〜ン!」合掌。

 
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